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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)3791号 判決

原告 甲野一郎

右訴訟代理人弁護士 舘孫蔵

右訴訟復代理人弁護士 加毛修

右訴訟代理人弁護士 松野充

被告 株式会社主婦と生活社

右代表者代表取締役 遠藤左介

同 丸元淑生

被告両名訴訟代理人弁護士 美村貞夫

同 高橋民二郎

同 土橋頼光

主文

一  被告らは原告に対し各自金一五〇万円およびこれに対する昭和四七年五月二四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その四を原告、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は原告勝訴の部分にかぎり、仮に執行することができる。

事実

第一申立

一  原告

1  被告らは原告に対し各自金五〇〇〇万円およびこれに対する昭和四七年五月二四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告ら

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二主張

(請求原因)

一  原告は「乙山二郎」という筆名で、いわゆる劇画の原作などの著述に従事する作家であり、被告株式会社主婦と生活社は、書籍の出版、販売を目的とする会社であって、週刊誌「週刊女性」を発行販売し、被告丸元は昭和四七年四月当時、被告会社の従業員として同誌の編集人の地位にあった者である。

二  被告会社は、昭和四七年四月二二日発行の同誌上に、別紙記載のとおりの原告に関する記事(以下、本件記事という。)を掲載し、その頃これを全国の読者に向けて約六五万部販売頒布した。

三1  本件記事によると原告は、(一)暴力を弄ぶ極めて粗暴な性癖の持主で、妻子に対し愛情も理解も持たず、一方的かつ理不尽な虐待と威圧を繰りかえし、スパルタ教育の名の下に食事までも吝嗇な差別をする冷酷な暴君であり、そのため家庭の雰囲気を暗く惨憺たる状況にし、(二)自己の体面のみに異常な執着を持つ利己主義者で、自分の肉親を大切にする反面、妻の母や親類を冷遇したり、利用したりし、また人気の低迷時には妻をクラブの女給に出すほどであるのに、人気が上昇すると妻を虐待し、収入が増加するとともに増長慢に堕する軽薄な成り上り根性の持主であり、(三)かつて、不良少年であって、少年院に収容された前歴があり、その作品は右時代の体験によるものとされているのである。

2  原告は主としてスポーツを題材とした独得の気品と風格のある作品をもって知られる作家であって、作品は週刊、月刊の各種雑誌、単行本およびそれらの二、三次使用によるテレビ放送、玩具、学用品のマーク等を通じて広く全国の幼、少、青年層に読者、視聴者等を有し、その圧倒的な支持と人気により流行作家としての地歩を確立し、相応の社会的評価を受けている者であるところ、本件記事は前記のとおりの内容であって、読者をして、原告の性向について嫌悪、軽蔑の念を抱かせ、社会的評価を低下させるものであるから、本件記事により原告の名誉は毀損されたというべきである。

四  本件記事に記載された事項は、原告の私生活に関するものであるから、原告は公開されないことに正当の利益を有するものであるところ、前記のごとき本件記事による原告の私生活の公開は、他人の侵害から保護されるべき私生活の平穏を乱すものとして、原告のプライバシーの権利を侵害するものというべきである。

五  被告会社の従業員である本件記事の執筆者および編集人たる被告丸元は、本件記事により原告の人格的利益が侵害されることを知っていたか、または注意義務を尽くせば知ることができたのにも拘らず右注意義務を怠って、本件記事を執筆し、これを同誌に掲載したものである。

したがって、被告丸元は民法第七〇九条、第七一〇条、被告会社は同法第七一五条、第七一〇条に基づき、原告の蒙った損害を賠償する義務がある。

六  原告は、本件記事により次のとおりの損害を蒙った。

1 原告は、例年多数の作品を執筆し、例えば昭和四六年度中には「巨人の星」、「タイガーマスク」、「あしたのジョー」など多数を各種雑誌、単行本によって発表しており、これらの作品の二、三次使用としてのテレビ放映および学用品、玩具等のマーク使用を通じて、全国の幼、少、青年層に大きな支持を得ているのであって、原告に与えられている社会的評価は、原告の名誉であると同時に無形の財貨であり、社会生活上および経済上の基盤でもある。

本件記事は、原告に対する右のような社会的評価に対して、はかり知れない悪影響を及ぼすものであることは明らかであるから、本件記事によって原告の蒙った精神的苦痛は絶大であり、右苦痛を慰藉するためには金五〇〇〇万円をもって相当とする。

2 仮に右の慰藉料が認められないとしても、

(一)(1) 原告は、本件記事掲載前の一年間(昭和四六年一月から同年一二月まで)には金一億一三九九万三三〇七円の収入を得ていたものであるところ、掲載後の一年間(昭和四七年五月から同四八年四月まで)には金七九八六万五三一四円しか得られず、金三四一二万七八九三円の減収となった。

(2) 右の減収は、本件記事掲載の結果生じたものである。

そして、本件記事の前記のごとき内容からみて、本件記事により読者等の人気と支持の低下、作品の評価の下落と需要の低減、二次、三次使用の敬遠などを招来し、原告の収入を減少させるに至ることは、被告らにおいて、当然予見し、または予見し得べかりしところである。

したがって、前記減収分は被告らの不法行為によって生じた損害というべきものである。

(3) 右の損害の賠償請求が認められるときは、慰藉料としては金一五八七万二一〇七円が相当である。

(二)(1) 原告は、本件記事掲載前の前記一年間において金二〇九三万二二九四円の検数料収入を得ていたものであるが、掲載後の前記一年間において得られた検数料収入は金二〇七万七八一七円に過ぎず、金一八八五万四四七七円の減収となった。

(2) 右の減収は、本件記事掲載の結果、原告の人気が下落し、作品の二次、三次使用が敬遠されたことに基づくものであるから、原告は本件記事により右減収分と同額の損害を蒙ったものというべきである。

(3) 右の損害の賠償請求が認められるときは、慰藉料としては金三一四四万五五二三円が相当である。

七  よって、原告は被告らに対し、本件記事に関する前記不法行為による損害賠償として各自金五〇〇〇万円およびこれに対する不法行為の日の後である昭和四七年五月二四日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する認否)

一  請求原因一、二は認める。

二  同三ないし五は争う。

ただし、原告の作品が雑誌等を通じて全国の幼、少、青年層の支持を得ていることは認める。

三  同六、1のうち、原告の作品については不知、原告がその作品を各種雑誌等を通じて発表しており、作品の二、三次使用としてのテレビ放映および学用品、玩具などのマーク使用を通じて、全国の幼、少、青年層に大きな支持を得ていることは認め、その余は争う。

同2のうち、原告の減収について不知、逸失利益、慰藉料については否認する。

(抗弁)

一  原告は本件記事を発表することを承諾している。

被告会社の担当記者は、本件記事の掲載にさきだち、原告の代理人である弁護士吉村弘義に校正刷りを示し、同弁護士から表現が強すぎるとして、文章の加入、削除、表現の訂正、変更等を求められた部分につき、指示どうりに応じたほか、自らも表現を柔げるよう加筆し、原告の名誉等を害さないよう特段の配慮をしたものである。

右によれば、本件記事の掲載については、当然に原告の承諾があったものというべきである。

二  本件記事は公共の利害に関する事実にかかるものであって、掲載の目的はもっぱら公益をはかるに出たものであり、摘示された事実はすべて真実であるか、または被告らが真実であると信じたについては相当の理由がある。

1(一) 原告の作品は、その主張するごとく、全国の幼、少、青年層に対し、書物、テレビ放映、学用品、玩具のマーク等を通じて圧倒的な支持と人気を博しているものである。

右のような場合には、読者等が、作品の主人公をアイドル視し、それと並行して作者自身をアイドルの具体化、現世化されたものとして認識することは心理学上の経験則に照らし明らかである。

そうとすれば、原告のような地位にある者の一挙手一投足が全国の読者等に対して影響を及ぼすことは明白というべく、本件記事はその内容に照らし、公共の利害に関する事実にかかるものと認めるべきである。

(二) また、本件記事の根幹は、原告の妻に対する暴行の事実を基調としたものであり、右行為は刑法第二〇八条に該当する犯罪であって、未だ公訴の提起されていないものであるから、本件記事は公共の利害に関する事実にかかるものとみなされるものである。

2 本件記事は夫婦の関係はいかにあるべきか、子供は父母の喧嘩をどうみるものか、子供に対する教育、とくにスパルタ教育についての賛否等の問題について読者に考える機会を提供するため、もっぱら公益をはかる目的で掲載されたものである。

3(一) 本件記事は、被告会社の担当記者が、原告夫妻の事情に精通している原告の妻の妹夫婦、原告の妻の母、原告および妻のそれぞれの代理人たる弁護士吉村弘義、垣鍔繁から取材した結果に基づいて慎重に執筆したものであって、その内容はすべて真実である(真実でないとすると、それは、むしろ表現を柔げるために作為した点においてのみである)。

(二) 仮に、本件記事の内容が真実でなかったとしても、右担当記者は右のごとき確実な取材源からの取材に基づき、慎重に執筆したものであるから、その真実であると信じたについては相当の理由があるというべきである。

三  前記のように、原告は全国の幼、少、青年層に圧倒的な影響力を持つものであるから、作家としての発言、行動については勿論、日常の生活においても彼らの範となるような円満な家庭生活を建設すべき社会的責務を負っているということができる。

そして、右のような社会的責務を負担する者はその公的な生活は勿論、私生活の面においても、公正な方法で行れるかぎり、社会に公開されることを、受忍しなければならないものであり、その限度でプライバシーの権利の侵害を主張し得ないといわなければならない。

したがって、本件記事はその内容、方法に照らし、原告のプライバシーの権利を侵害するものということはできない。

(抗弁に対する認否)

一  抗弁一は否認する。

二1  同二1(一)のうち、原告の作品が全国の幼、少、青年層に対し、書物等を通じて支持と人気を得ていることは認め、その余は否認する。

同二1(二)は否認する。

2  同二2は否認する。

3  同二3(一)のうち、被告会社の担当記者が原告の妻の妹夫婦から取材したことは不知、その余は否認する。

同二3(二)は否認する。

三  同三は否認する。

第三証拠関係≪省略≫

理由

一  請求原因事実のうち、原告が「乙山二郎」の筆名で、いわゆる劇画の原作などの著述に従事する作家であること、被告会社は書籍の出版販売を目的とする会社であって、週刊誌「週刊女性」を発行販売していること、被告丸元が昭和四七年四月当時被告会社の従業員として同誌の編集人の地位にあった者であることおよび被告会社が昭和四七年四月二二日発行の同誌上に本件記事を掲載し、その頃これを全国の読者に向けて約六五万部販売頒布したことは当事者間に争いがない。

二  名誉毀損について

≪証拠省略≫によると本件記事は原告と原告の妻の上半身の写真、原告の家族の団欒を撮影した写真とともに別紙のとおり大小の見出し、内容をもって、前示「週刊女性」誌上に三頁にわたって掲載されたものであることが認められ、そして、右の見出し、本文の体裁、内容からすると、本件記事はその大要を『原告はスパルタ教育の名のもとに、食事、遊び方、日常のしつけ全般にわたって子供たちに対し暴力や威圧を加え、子供たちは原告の顔色を窺って気嫌にふれないように静かにしている状況であること、原告の妻は原告の教育方針に反対で、そのため夫婦喧嘩が絶えず、原告が喧嘩の際我慢できないほどの暴力を振うので、最近一年間くらいの間に四回も家出し、ついに離婚を決意するに至ったこと、原告は自分の体面のみを考え、妻にひどい暴力を加えても、医師の診察を受けることすら許さず、また妻の家出に対しても自分の名前で捜索願いを出すことを好まずに妻の実家の名前でさせたり、妻の家出中実家の援助を受けていながら、他方では妻の肉親を冷遇し、貧乏な時は夫婦仲がよかったが、人気の上昇、収入の増加とともに妻に暴行を加えるようになったこと、原告の考え方や作品の基本となっているものは少年院に収容されたりした不良少年の時期の体験によるものである。』との趣旨のものとして摘出することができるものというべきである。

本件記事の右の趣旨からすれば一般読者がこれを通読すれば、原告の人格、性向につき否定的な判断をするに至るであろうことは容易に推認することができ、したがって、本件記事により原告の社会的評価は当然低下すると考えられるから本件記事は原告の名誉を毀損するものといわざるを得ない。

もっとも、本件記事中には、後示の吉村弁護士が原告の教育方針等について語っている部分のように原告に対する理解的態度を示しているかのごとき部分があり、当該部分のみ断片的に読めば、それ自体では原告の社会的評価を低下させるものとはいえないけれども吉村弁護士の発言部分は、他の摘示事実に対する十分な釈明を伴わない単なる弁明にとどまっているのみならず、当該部分は本件記事の中で主要な部分を構成しているものではないことは明らかというべきであるから、本件記事が全体として原告の名誉を毀損するものであるとの前示判断は左右し得ないところである。

三  プライバシーの権利の侵害について

一般に、個人の私生活の平穏が保障されなければならないことは当然のことであるから、私生活上の事実のうち公開を欲しないことが通常と認められる事項については、公開が差控えられなければならないものであって、その不法な公開に対しては、法的救済が与えられなければならないことは多言を要しないところである。

本件記事は前示のとおり、原告がスパルタ教育の名のもとに子供に理不尽な暴力、威圧を加え、そのため妻との喧嘩が絶えず、妻は離婚を決意しているとのこと等を内容とするものであるが、これらの事項は通常人の立場に立ったとき公開されることを欲しない私生活に関するものであることは明白というべきであるから、原告は本件記事の掲載により、前示の法的利益を侵害されたものというに妨げないというべきである。

四  そこで、被告らの抗弁について検討する。

1  被告らは本件記事の掲載については原告の承諾があったと主張する。

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告夫妻は昭和四七年二月以来別居状態となり、当時双方弁護士を通じて円満解決するべく話合をしていたのであるが、原告が著名人であるため、夫婦間の不和がマスコミに興味本位に取上げられ、話合に悪影響を及ぼすことのないよう、双方ともマスコミ関係の取材には一切応じないこととするとの諒解が両弁護士の間でされていた。

ところが、妻側の弁護士は、被告会社が妻の妹夫婦から取材した結果に基づき記事を掲載する予定であるとの情報を得たので、担当記者である池田源に原稿の閲覧を申し入れ、その承諾を得たうえで、右記事が妻の情報提供によるものでないことを明らかにするため原告側弁護士である吉村弘義に連絡し立会を求めた。そこで、吉村弁護士は右の趣旨を原告に伝えたところ、原告から掲載の中止方を申入れるよう依頼されたので、知人を介して被告会社の上層部にその旨申入れたところ、掲載を中止することは困難かも知れないが表現を修正する余地はあるから担当記者に要求してもらいたいとの趣旨の回答を得たうえ、同年四月四日妻側弁護士の事務所で池田記者と会った。池田記者は妻側弁護士と会うということであったため、吉村弁護士がいかなる資格で立会うのかを問題にしたが、両弁護士が当時前示のとおり交渉中であり、原告も記事に利害関係をもっている旨説明すると一応納得し、既に妻の妹夫婦から得た情報に基づき作成済であった校正刷の閲覧に応じた。吉村弁護士は右校正刷を一読したところ、内容が予想以上に同弁護士の知らない事実も含めて一方的な事実に基づき原告を加害者、妻および子供たちを被害者として描写し、原告を非難する調子のものであることに驚き、ただちに掲載を取止めるよう、もし掲載されるときはそのままではすまない旨申入れたが、同記者は、既に時間的余裕がないことを根拠に強硬に拒絶し、単に、全体の枠組みを動かさない程度で何行かのごく僅かの修正が許されるのみであるという態度であったため、同弁護士としては、右のままの形で記事が掲載公開されて一層紛争を拡大させるよりも、表現などが少しでも柔かくなるだけでもある程度の意味がないとはいえず、また、前示のとおり被告会社の上層部に掲載の中止を申入れていることでもあり、上司の判断で掲載が中止になる余地も全くないわけではないとの考えから、一応検討の素材を提供する意味で、内容からみてとくに問題があると考えられた女性関係についての記述を指摘して削除を求め、更に原告の子供の教育に関する考えについて一般的に述べ、一例として伊豆の別荘における子供のしつけに関する事実を告げるなど校正刷の内容について、自己の知識の範囲内で差異を指摘し、同記者と別れた。同弁護士はその後、原告に対し、右の経緯を報告したところ、原告は依然掲載の中止を求めて止まないため、被告会社に連絡して、池田記者に再三、再四その趣旨の申入れをした。

池田記者は、吉村弁護士と別れて後、原告の妻の母親方に赴き妻の妹夫婦から取材した結果をおおむね確認し、更にいくつか新たな情報を得て帰社し、これに基づき校正刷を修正し、また吉村弁護士との会談によって得た情報のうち、原告の教育方針についての考え方とその一例としての伊豆の別荘での件を同弁護士の言として取り入れたほか、原告の女性関係について触れた部分を削除し、吉村弁護士からの再三の前示申入れを考慮して、編集人である被告丸元と協議して、冒頭の大見出し、小見出しおよびそれに伴う本文の表現を「木刀で殴打」とあったのをゲンコヤ平手で「ポカポカ」という趣旨に改め、新たに原告の教育方針に関する小見出しを挿入し、最後の部分に「夫婦の争いは犬も食わないというか、それにしては少しオーバーになってしまったようだ」と記者としてのコメントを書き加えるなどの修正を行い、それを最終稿として決定し、印刷に付した。

≪証拠判断省略≫

右の事実および証人吉村弘義の証言により認められる前示会談の状況からすると、原告およびその意をうけた吉村弁護士の被告会社に対する要求は、終始記事掲載の中止にあったことは明らかというべく、池田記者が掲載の中止を頑強に拒み、記事の枠組みを変更しない限度の僅かな修正に応じる余地があるのみであるとの態度をとっている状況のもとで、同弁護士が前示の程度の事実を告げたとしても、右事実自体が内容において一般的であり、かつ記事の一部に関する限定的なものにとどまっているのみならず、右事実がどの程度記事内容に取り入れられる不明の状況であったと認められる以上、右事実を告げたとのことから同弁護士が前示校正刷を若干修正した記事内容での掲載に同意したとは明示的には勿論、黙示的にもとうてい推認することはできない。同弁護士が右の限度で掲載に同意したとの趣旨に帰する証人池田源の証言は証人吉村弘義の証言に照らし採用することができない。

そして、池田記者らが前示のとおり修正を加えたとしても、修正後の内容自体が前示のとおり原告の社会的評価等の人格的利益を侵害するものである以上、右修正は格別の意味を有しないといわなければならず、結局被告らの前記主張は採用することができない。

2  被告らは、本件記事は公共の利害に関する事実にかかるものであって掲載の目的はもっぱら公益をはかるに出たものであり、摘示された事実はすべて真実であるか、または真実と信ずるについて相当の理由があると主張する。

(一)  公共の利害、公益目的について

公共の利害に関する事実とは、当該事実が多数一般の利害に関係するところから右事実につき関心を寄せることが正当と認められるものを指すのであって、多数人の単なる好奇心の対象となる事実をいうものでないことはいうまでもなく、またもっぱら公益をはかる目的とは動機の具体性を意味するものと考えられる。

ところで、本件記事の内容は前示のとおり、原告が私生活において子供に理不尽な暴力等をふるい、それが原因となって妻に対しても粗暴な振舞に及び妻は離婚を決意しているとの事実を摘示するものであって、「梶原一騎が篤子夫人をポカポカ、離婚へ?」、「月収3百万が狂わしたか?!」など読者の好奇心に訴えるような見出しを付していることとあいまって、原告個人の私生活上の具体的な行動に不必要なまでに踏み込んだものといわざるを得ず、興味本位の色彩が濃いものであってとうてい公共の利害に関する事実にかかるとも、その掲載目的がもっぱら公益をはかるに出たものとも認めることはできない。

なるほど、夫婦間の問題、子供の教育の問題は一般に正当な関心の対象となる事項であり、真摯に論ぜられるとすれば、公の利益に合致するものであることはいうまでもないがそうであるからといって、本件記事のごとく特定個人の私生活に踏み込んで、その者の社会的評価を低めるような形態で事実を具体的に摘示し、またはその私生活の平穏を犠牲にすることが許されるといい得ないことも亦いうまでもないところであって、右のごとき問題は相応の内容、方法をもって論ずることが十分に可能であり、かつそうすることが道理というべきものである。被告本人丸元淑生は、女性にはものごとに対する独特の興味の持ち方をする傾向があり、いわゆる女性週刊誌の記事は右のごとき傾向と無縁ではあり得ないとの趣旨の供述をしている。右供述は一般的にいえば必らずしも首肯しえないわけではないけれども、そうとしても、右の道理と矛盾するものではなく、右の道理を排し得るわけのものでもない。また、原告がいわゆる著名人であり、作品が全国の幼、少、青年層に書物、テレビ等を通じて支持と人気を得ているとしても、右の理に何らの差異もあるべきはずのことではない。

≪証拠省略≫によると、担当の池田記者および編集人たる被告丸元は、本件記事は夫婦と子供の教育の問題について読者に考える素材を提供することを目的として、特に女性が興味を持つような形式で執筆、掲載されたものであると説明している。しかし、確かにその文言のみを表面的にみれば、右のような形をとっているといえないこともないが、本件記事の基調は前示したとおりであって、右の説明は単なる弁解ではないとしても、著名人については右の理が妥当しないことを前提とする独自の見解といわざるを得ず採用することはできない。

なお、被告らは、本件記事の根幹は原告の妻に対する暴行の事実を基調とするものであり、右は犯罪であって未だ公訴の提起されていないものに該当するから、公共の利害に関する事実とみなされるべきであると主張するが、本件記事の内容の該当部分の原告の行為は、夫婦喧嘩の際の粗暴な振舞の範囲を超えるものとは認められず私生活に干渉しないことを原則とする刑法のたてまえからいって、右のごとき行為を公訴未提起の段階の犯罪と目することはとうていできず、被告の右の主張は採用に値しないものであることは明らかである。

(二)  事実の真実性について

≪証拠省略≫を総合すると、原告は、昭和三九年六月結婚して以来、四子をもうけていたが、仕事が多忙となったことや性格等が原因で昭和四三年ころから妻と不和となり、粗暴な振舞に及ぶこともあり、同女が家出をすることもしばしばあったこと、同年一〇月末ごろ同女が家出をした際、原告が弟と一緒に妻を連れ戻し、弟宅で説得中に口論の末昂奮のあまり同女を平手でかなり強く殴打して顔面がはれたことがあったこと、原告は子供に対して厳しいしつけをする方針であり違った考えを持つ妻との不和の一因となっていたこと、その一例として、子供が原告の知人のつくった小さな、形の悪いミカンを食べず、市販の大きなミカンを食べようとしたことを厳しく叱ったことがあったこと、かつて妻が家出をしたときに行方を捜すため妻の実家側の知人である警察官の援助を乞うべく原告の名前を使わずに妻の実家の名前を使ったことがあったこと、原告がさほど有名でなかった初期の時代に妻がクラブに短期間働きに出たことがあったこと、以上の事実をそれぞれ認めることができる。しかしながら、右認定以上に、本件記事に記載されている他の事実すなわち原告が妻にひどい暴行を加え、しかも医師の治療を受けることを許さなかったこと、食事やミカンのことで子供たちに吝嗇な差別をしたこと、子供たちに対し暴力や威圧を加え、子供達は原告の顔色を窺って気嫌にふれないように静かにしている状況であること、それらのために耐えきれなくなった妻が離婚の決意をしたこと、原告が体面のみを考え自分の名前を不利な形で外部に出すことをきらい、妻の実家側の親類を利己的に利用する一方で冷遇したこと、少年院に収容された前歴があること等の本件記事の主要部ともいうべき諸事実が真実であったことを認めるに足りる的確な証拠は見当らない。もっとも、記事内容のうち、右で認定した限度の事実のほか、前記各証拠によると原告と妻との結婚に至るエピソードとか、原告の教育方針のあらわれである伊豆の別荘における件などおおむね真実と認められる事項もあるが、これらはそれ自体としては記事の末梢的部分に属し、専従性を持たないか原告の人格的利益侵害とは関係のない事項であるから、前示のとおり本件記事の主要部分が真実と認められない以上、全体としての本件記事についての真実性の立証はなされていないといわなければならない。

(三)  事実を真実と信じたことの相当性について

≪証拠省略≫によると、池田記者の取材の経過は次のとおりであったと認められる。

池田記者は昭和四七年春ころ原告夫妻がかねて不和で、当時別居中であったことを知り、これを記事にすることを企画し、取材の機会を探っていたが、原告の妻の妹夫婦と接触することができ、同人らを介して原告の妻に面談を申込み、一旦は承諾を得たので、同女から直接取材した記事を「週刊女性」同年四月二二日号に掲載する計画を立てたところ直前になって拒絶され、なおも申込みを続けていたが、ついに面談の機会を得ることができずに原稿の締切日を迎えるに至ってしまった。そこで同記者は妻自身から直接取材することはあきらめ、妻の妹夫婦が原告夫婦の問題をよく知っているというので同人らからの取材でまかなうことにした。同人らはかつて原告の妻の家出の際、同女を連れ戻すのを手伝ったことはあるものの、原告とはさほど親しいつきあいをしていたものではなかったが、原告の妻から種々話を聞いたことがあったため、右の事実を基にして原告の妻子に対する暴行振りやその原因としての教育方針の相違などについておおむね本件記事に符合する情報を与えた。同記者は右の取材を主な資料とし、その他自分で蒐集した若干の情報をあわせて原稿を執筆し、これに基づいて校正刷が作成された。同記者は取材の内容からみて、原告がこの種の記事の掲載に反対することが明らかで効果的な取材をすることは不可能と判断し、原告自身から取材することは断念してそのまま掲載しようと考えていたが、そのころ被告会社が取材中であることを知った原告の妻側の弁護士から校正刷の閲覧を求めめられたので同弁護士によって事実の確認ができ、より詳しい情報が得られるかも知れないと考えて承諾し、同弁護士の事務所に赴いたところ、前示のとおり、同弁護士から連絡を受けていた吉村弁護士が同席していたため、原告側から取材する予定のなかった同記者は同弁護士が在席することを詰問したが、結局校正刷を両弁護士に閲覧させ、帰社してから吉村弁護士や原告の妻の母から得た情報を内容に取り込んだり、編集人である被告丸元と協議のうえ見出しや表現を修正したりして確定稿を決定して印刷に付し、かくて本件記事の掲載された前記雑誌が発売されたものである。

≪証拠判断省略≫

ところで、本件のごとき雑誌記者としては、記事の真実性を担保し、内容の公正を保っために対立当事者から可能なかぎり取材する努力を惜しんではならないものであることはいうまでもないことであって、このことは、本件記事のごとく、内容において掲載の迅速性を格別必要とするとも認められない種類の記事の執筆にあたってはとくに要請されるものというべきである。

しかるに、前示認定事実によると、池田記者が本件記事執筆のための資料とした前示資料のうち、主要な資料である原告の妻の妹夫婦からの情報は、その体験に基づくものではなく、原告の妻から聞いた事実を中心とするものであり、確定的、補充的な資料である原告の妻の母からの情報も同様であって、いずれも正確性が担保されていないものであるのみならず、その内容をなす夫婦、親子間の事実については、ことがらの性質上当事者以外の第三者が事実自体を正確に知ることにおいてすでに自ら限度があるうえ、事実に対する当事者本人の考え方如何に至っては見解の相違に基づく微妙な差異を生ずる余地が多分にあるものであり、殊に被害者側はとかく一方的な発言をしがちなものであることは、たやすく予測できるところでもある。また、吉村弁護士から得た情報も前示のとおりそれ自体記事の一部の事項に関する限定的なものであって、記事内容全般にわたる反論としては不十分なものであることは明らかであるのみならず、そもそも池田記者はごく少範囲の修正しかできないとのことを強硬に主張していたのであるから、右のごとき記事内容全般にわたって反論のなされる余地はおよそ存しない状況にあったものである。

そうすると、池田記者は前示説示に照らし不完全、不十分な資料に基づいて本件記事の執筆にあたったというほかなく、右の点において記者として必要な注意義務を尽くしたということはできないから、本件記事の内容が真実であったと信じることを相当とする状況があったと認めることはできないものというべきである。

以上説示したとおりで、いずれの点においても被告の主張は採用する余地はないといわざるを得ない。

3  被告らは、原告は社会に与える影響力からみて円満な家庭生活を建設すべき社会的責務を負っているから私生活の面といえども公正な方法で行われるかぎり公開されることを受忍すべきであり、その限度でプライバシーの権利を享受し得ないと主張する。

しかしながら、いかなる著名人といえども他から容喙を受けることのない私生活の平穏を享受する利益を有していることは前示したところであり、原告も右の例外とはいい得ない。もっとも著名人については事項の如何によってプライバシーの権利を放棄したと考えられる場合があり、またその社会的地位に照らし、私生活の一部が公の正当な関心の対象となる場合も考えられ、右のような場合にはプライバシーの権利の侵害を主張し得ないものと解すべきであるが、本件記事の内容をなす特定の夫婦間の問題、子供の教育方針等についての具体的な問題は元来、当該家庭の機微に属し、他人がみだりに容喙することは差控えなければならない性質のものであり、とくに本件記事のごとき体裁、内容をもって理非をあげつらうかのごときことが容認される余地は全くないといわざるを得ず、本件が右の各場合に該当するものではないことは前示したところから明白なところと考える。

よって、被告らの主張は採用することができない。

五  以上の説示から明らかなように、被告会社の従業員である執筆者池田記者、編集人たる被告丸元は、それぞれ、その執筆編集にかかる記事が他人の人格的利益を侵害することのないよう十分の措置をとる注意義務を負担しているところ、原告の社会的評価およびプライバシーの権利を侵害する内容を有する本件記事を執筆し、または本件記事を前示「週刊女性」誌に掲載する最終決定を行ったものであって、前記各注意義務を怠った過失があるというべきであるから、被告丸元は自己の不法行為として、被告会社は従業員が事業の執行につき犯した不法行為により、各自原告の蒙った損害を賠償する義務があるというべきである。

六  そこで、本件記事により原告の蒙った損害について判断する。

1  ≪証拠省略≫によれば、原告は、昭和四六年度中いわゆる劇画の原作として、例えば「巨人の星」、「タイガーマスク」、「あしたのジョー」をはじめ多数の作品を各種雑誌、単行本を通じて発表していることが認められ、それらの作品が、二、三次使用としてのテレビ放映、および学用品、玩具等のマーク使用を通じて全国の幼、少、青年層に大きな支持を得ていることは当事者間に争いがないところである。

右の事実に、前示判示の本件記事の内容をあわせ考察すると、本件記事の掲載により原告が多大な精神的苦痛を蒙ったことを容易に推認することができ、右苦痛を慰藉するためには右の諸事情を斟酌して金一五〇万円をもって相当と認める。

2  原告は二次的主張として、逸失利益の主張をし、同時に金五〇〇〇万円と右逸失利益との差額を慰藉料として請求する。

しかしながら、本件に顕れた全資料をもってしても、本件記事により原告の蒙った精神的苦痛に対する慰藉料を前示認定以上に容認することはできず、また逸失利益の主張も次の理由により認めることはできない。すなわち、≪証拠省略≫によると、本件記事掲載の前後の各一年間において、原告の著作に基づく原稿料、印税、検数料のすべてにわたって相当額の減収を生じていることが認められるかのようであるが、≪証拠省略≫によると、原告はさきに個人経営から有限会社乙山プロダクションを設立して原告の著作に基づく収入はすべて同社の収入とし、原告は同社の代表者に就任して定期に報酬を得ているものであり、前示の減収は会社としての減収であって、原告個人の減収ではなく原告個人の収入は本件記事掲載の前後で減少した事実はないことが認められる。のみならず、本件全証拠によっても前示減収が他に原因なく、もっぱら本件記事の掲載を原因とするものであることあるいは前示減収のうちの幾何が本件記事掲載を原因とするものであるか等本件記事の掲載の損失の因果関係を肯定するに足りる証拠が十分といえない。

以上のとおりであるから、被告らは各自原告に対し金一五〇万円およびこれに対する不法行為の後である昭和四七年五月二四日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

七  よって、原告の本訴請求は右判示の限度で正当であるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 内藤正久 裁判官 真栄田哲 田中壮太)

〈以下省略〉

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